17歳 パニック発作と摂食障害の始まり①

2020年、私は高校2年生。

11月のある日、授業開始から約10分後が経過したとき、これまでの人生で経験したことのない息苦しさに見舞われた。「死んでしまう」と思うほど動悸、そして感じたことのない強烈な不安感。。40分間もがき苦しんだ。授業の終わりのベルが鳴った時、その苦痛が嘘だったかのようになくなった。私はとても安堵した。「成績下がりたくなかったし、今の授業抜け出さ無くてよかった」そう思った。

 

なんせ、たまたま起こったこと。あれは何だったんだろうと。

 

しかし、それ以降の授業も同様の症状が起こる。授業なんて聞けたもんじゃない。しかし、成績の良くない私は平常点くらいは下げたくなかった。再来週には待ちに待った修学旅行もあるのだ。部活も毎週末練習試合の予定がある。だめだしっかりしろ、授業は出ないと,,, そう思ってこの症状が続くなか、高校へ通った。しかし3日目の3時間目に本当にもう限界が来た。この症状は俗にいう「パニック発作」だ。振り返るとパニック発作にここまで耐えていた私は本当に学校への大きなプレッシャーがあったんだと思う。

3時間目が終わり、保健室へ向かう。

1年生の時に担任だった先生とたまたますれ違った。

「…?大丈夫か?最近なんかあったか?」そう声をかけてくれた先生。

私は一体どんな表情で歩いていたのだろうか。

保健室ではこの症状について話すことがめんどくさかったのか、頭が痛いと嘘をついて早退させてもらった。これを機に約3週間学校へ行けなくなった。

修学旅行のために買った新しい服も何もかも無駄になってしまった。

 

早退した日はそのまま家に帰って布団に入った。帰りの電車でも息苦しさ、恐怖心で立っていられなかった。家に帰っても気持ちは収まらない。全身が痛い、体がとにかく痛い。そして息が苦しい。心臓がバクバクして収まらない。学校よりもひどい状態に私もどんどん怖くなっていった。あれから1週間、修学旅行当日。もちろん行けるわけもない。ひたすらベットで泣いた。このころは学年にコロナ患者が出たら学校行事が行えなくなるという決まりごとがあった。この得体のしれない症状は、「コロナ」なのかもしれないと。もしそうだったら怖い。みんなも修学旅行も中止にさせてしまうと思い、病院へは行かなかった。

みんなが修学旅行へ行っている間も、私はこの症状で眠れず、もがき苦しむ日々が続いた。本当に本当につらかった。

 

修学旅行明け。早退した日から3週間。少し体調は良くなってきた。

テストも控えており、私は意を決して登校した。1週間授業を受け、テストも5日中4日は受けられた。修学旅行明け仲良くなったクラスの輪になんだか疎外感を感じながら。

 

土日を挟んで月曜日に残り1日2科目。

 

あと少し…といったところで、人生で初めて何かの限界に達した。

 

あの日の日曜日を忘れることはない。

勉強中、涙が止まらなくなった。

 

そしてお母さんのいる部屋へ行った。

 

『お母さん、わたし、もうぜんぶやめたい』

何が辞めたいのか?テスト?自分でもわからない。謎の症状で3週間もがいたが、

今は学校行って部活もできるまでには何とか回復。テストも受けられて、あと1日やり切ればまたいつもの学校の、「普通」の日々に戻ると思っていた。

なのに私から出た「ぜんぶやめたい」という叫び

 

お母さんは私を抱きしめていった「やめていいよ」

 

『ほんまに?もうわたし、がっこういかなくていいの?』

 

「うん。休んでいいんよ」

 

私はこれまでの人生で一番泣いたと言っても過言ではないくらい泣いた。

 

行きたいはずの学校が私の心底ではもう行きたくない場所になっていた。

行きたいと望んでいるはずが、精神的にも肉体的にも悲鳴を上げていた。

 

思い返せば、2020年、コロナで自粛期間があり高校2年生の始まりの本格的な開始は6月から。17歳を迎えたこの年から、やけに自分の見た目に対する嫌悪感がすごかった。

私は部活柄体が大きく、真っ黒に焼けた肌。すごくすごく容姿が嫌いだった。背が高いことを同級生にいじられたり、体がでかいと異性からモテないよねといった言葉もかけられたことがあった。そのたび自分の持って生まれた見た目の部分を何度も恨んだ。

 

学校終わりに行う過食嘔吐が辞められなくなった。学校帰りにおやつを買いだめて吐く。親にばれないように深夜にまで起きてこっそり。

 

親の作った晩御飯も、太る、醜くなると思い吐いてしまうことも多かった。

そのたびに自己嫌悪。体力も落ちて部活にもついていけなくなった。

 

実は10月ごろからはっきりとした学校や部活の記憶がない。それくらい追い込まれていたのに自分自身では全く自覚がなかった。身だしなみ、まったく気にせずぼさぼさの髪のまま登校する私を見送るのが心苦しくて仕方なかったとお母さんは言う。

 

10月ごろの写真を見返してみるとリストカットなどの自傷行為などの写真もあった。

無意識に行っていたと思うととても怖い。

 

私はこの日から高校へ行かなくなった。約2か月間ひたすら引きこもって死んだように寝ていたらしい。鬱の状態だったと思う。相変わらずこの期間も夜になるとパニック発作が起こる。悪夢ばかり見る。幻聴が聞こえる。とにかく真っ暗な部屋で時間がたつので毛をじっと待った。

お風呂に入るのは3,4日に1回。お母さんの介助のもとお風呂に入れてもらった。食欲も全くない。約2か月間1日1食。夜に頑張ってお味噌汁を飲む。

それが限界だった。2か月で10キロ以上痩せて制服のスカートがゆるくて履けなくなったほど痩せた。精神科では不安障害の診断を頂いた。

 

2月末、担任の先生と部活の顧問の先生が家庭訪問に来た。

この2か月私は様々なことを考えていた。4月からどうするか、どうしていきたいか。

学校は本当に好きだった。何より部活が大好きった。学校をやめるというより、部活を辞めるという選択肢がこの上なくつらかった。

しかし現実的に考えて全日制高校をあと1年通うのは無理だった。

先生には全日制高校を辞めることに反対されたが、私はもう戻れないことを悟っていたから。迷いはなかった。

 

次の春、通信制高校編入した。

オンラインで授業も参加できるので無理なくスクーリングすることができた。

しかし全日制高校を辞めた孤独感?急に何もかも嫌になり、通信制高校の授業もまともに出られない。朝起きてすぐ、ドラックストアへ行くのが日課だった。市販薬でオーバードーズ(OD)をするために足を運んでいたのだ。リストカットもやめられず、精神科でもらうお薬もODに消費してしまう。1日1食が限界だったのが嘘だったかのような食欲のぶり返し。家にこもっては自分を傷つける行動、過食。

 

とにかく、とことん終わっていた、4月だった。

その後先生の勧めで精神科に入院することとなる。

約1か月間の閉鎖病棟の入院。

 

 

 

今回はここまで.